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2010年09月05日

立道聡子さんのドラマを見て

 昨夜、フジテレビで放送された「愛は見える」というドラマを見ました。このドラマのモデルとなった立道聡子さんというシンガー・ソングライターのことは、以前、ある方( @yasuragicafe さん)に教えて頂きました。昨日、@yasuragicafe さんが、今夜放送されるよとブログに書かれたので、見逃さずにすみました。
 
 
 半分は実話、半分はフィクションという理解で見ていましたが、何度か涙腺がゆるんでしまいました。ドラマを見て感じたことは、生きることと好きな仕事を続けることを両立することが難しいということです。可能な限り夢を追いたい、叶えたいと思っても、日々の生活は待ってはくれない、誰しもが経験することではないかと思います。
 
 「仕方ない」と言って、皆どこかで折り合いを付けているのかも知れません。それでも、人から見れば小さな夢だったり、些細なことであっても、毎日の暮らしの中で可能な限り夢に向かって努力すること、あるいは夢を持っているというそのこと自体を励みにすることは、素晴らしいことの様に思います。

 
 もう1つ感じたことがあります。ドラマの中では直接に(正面切って)は、取り上げていませんでしたが、この国(日本)は、弱者に対して決して暖かくない(冷たい)社会なのではないか、という危惧です。
 
 
 私自身、日本以外のことはよく知らないのですが、この国(の仕組みや慣習)は障害者や被害者(原爆、犯罪、拉致)に対して冷たい社会だと、以前から感じています。
 
 被害を受けた人や障害を持つ人に対してというよりも、(多数派か少数派で言えば少数派の人々に対しての偏見があるように思います。自分たちと違う人、理解できない(傷害や被害を持つ)人に対する根拠の無い偏見が、大人、会社、ご近所、学校と、社会のあらゆるところに見られる気がします。
 
 
 少数派と多数派を分けるもの、ある事柄(例えば、肉体的ハンディキャップ)から見て自らを多数派と認識するか少数派と自覚するかの境目にあるのは、「今現在は自分は多数派だが、自身も少数派になっていた、あるいは今後なるかもしれない」という自覚であり、「それ(多数派か少数派か)を左右するものは"偶然"である」ことに気付くか否かではないかと思っています。
 
 原爆被爆、薬害による疾患、犯罪の被害に遭う、拉致される、これらの被害者ご自身に何の落ち度も無い場合が少なくない(むしろ殆ど)ことは、みなさん、ご存知ではないかと思います。
 
 
 (年齢的には相当高いにもかかわらず)青臭いとの批判を受けるかも知れませんが、少数派の人々も含めたみんなが、希望を持って、最低限の生活をしていくことが出来るようにするために、皆が政治に参加すべきであり、そのための「政治」だと思っています。また、政治に任せるだけでなく、身近な小さなこと(必ずしも行動を伴うことだけでなく)に自分自身が関わっていくことが、とても大切な気がしています。何故かと言えば、当然ですが人は一人では生きていけないのですから。

投稿者 もりた : 2010年09月05日 00:35 このエントリーを含むはてなブックマーク この記事をクリップ!

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