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2010年07月26日

「ブルース・リー特集」と「北山修 最後の授業」

 いよいよ明日(26日(月))からNHKで、衛星映画劇場のブルース・リー特集(NHK-BS2)と、「北山修 最後の授業」(NHK教育)が放送されます(26日(月)から29日(木)まで)。
 
 私がブルース・リーの名前を知ったのは、当時高校2年生、1973(昭和48)年、「燃えよドラゴン」が日本はもちろん、世界中で話題になった頃だと思います。ただ、当時の私は、それが人物の名前であるとハッキリ認識していたわけではなく、もっとヒドいことには「ブルース・リー」ではなく「ブルー・スリー」と勘違いしていました(「・」の位置の違いにご注目)。
 
 文字としてその名前を見てはおらず、耳だけで聞いていたためですが、つまり、ことほど左様にブルース・リーおよびブルース・リーの映画に関心は持っていなかったという証拠です。私がブルース・リーの映画を、ビデオでしたが、初めて見たのは、それから7~8年後、1980~81(昭和55~56)年頃だったと思います。
 
 友だちからビデオデッキ(SONYベータMAX)ごと、テレビ番組の録画テープ一式を譲り受けた時です。そのテープの中にブルース・リーの「ドラゴン危機一髪」、「ドラゴン怒りの鉄拳」、「燃えよドラゴン」が含まれていたのではかったかと記憶しています(確信はありません)。初めて見た時の印象は、ブルース・リーの映画を見た人はどなたも同じではないかと思いますが、「今迄こんな映像は見たことが無い」という強烈なものでした。
 
 それらの作品を見てブルース・リーへの関心が急速に高まり、それからはテレビで放送されるブルース・リーの映画を逃がさず、「ドラゴンへの道」、「死亡遊戯」などは自ら録画したように思います(あるいは「燃えよドラゴン」もそうだったかも知れません)。

 
 今回は、「燃えよドラゴン」(27日(火))、「ドラゴン危機一発(注)」(28日(水))、「死亡遊戯」(29日(木))の3作品のみで、「ドラゴン怒りの鉄拳」、「ドラゴンへの道」は放送されず残念です。
() 「危機一髪」ではなく、「危機一発」であることを初めて知りました。
 
 しかし、ブルース・リーと競演した倉田保昭さんの番組(26日(月))や、上記3作品オンエアー直後に15分間の「萌えよブルース・リー」が放送されるなど、楽しみ満載です。「萌えよブルース・リー」では、しょこたん(中川翔子)が何を話すのかも楽しみです(3日間とも出演予定)。
 
 また、一足先に先々週・先週と2週にわたり、ブルース・リーの熱狂的なファンが集まった「熱中スタジアム」という番組でブルース・リーが取り上げられ、ムードは最高潮の様です。私は一人テレビの前で、あまり熱くならず、静かに見たいと思います(その位で充分=丁度いいくらい、ブルース・リーの作品はスゴイ映像、内容だらけだと思います)。
 
 
 余談ですが、昨日(24日(土))深夜に放送された「スポーツ大陸」というNHKの番組で、バドミントンの田児賢一選手とマレーシアのリー・チョンウェイ選手の試合が紹介されていました。田児選手がリー選手から初めて1ゲーム奪った試合です。リー選手のプレーを見る度に、ブルース・リーの技(動き)を連想します。特にネット際に上がったシャトルに向かって、猛突進する時のダッシュです(バドミントンでは、これを"ラッシング"といいます)。
 
 特に"動き始め"の速さです。単に足や肉体の速さと言うよりも、ネットギリギリに上がったシャトルを「目で認識して」、上から下の方向に打ち込めると「判断し」、肉体を始動するという、一連の神経の連携の速さです。スポーツとしてバドミントンの経験がある人、かつ、ブルース・リーのファンの方であればご理解いただけるのではないかと思います。ブルース・リーの技に最も近い(似ている)動きをするスポーツは、実はバドミントンではないかと思っています。もちろん、截拳道(ジークンドー)を除いての話ではありますが。
 
 バドミントン、リー・チョンウェイ選手とブルース・リー(IT屋もりたの今時パソコン日記)
 
 下記のビデオは、2007年9月、YONEX OPEN JAPAN 2007決勝でプレーするリー・チョンウェイ選手です(黄色いシャツがリー・チョンウェイ選手。対戦相手はタウフィック・ヒダヤット選手(インドネシア))。下記ビデオの中の4分50秒付近からのプレーにリー選手のネットへのラッシュ・プレーがあります。リー選手のネット際へのヘアピンに対してヒダヤット選手の返しが浮いたところを、ラッシングして叩いています。典型的な"ラッシング"プレーです(実は、ほんとうに見ていただきたいのは、0分35秒のネット際から相手コート後方へドライブを返すプレーです。よろしければ、そちらもどうぞ)。
 
 
 
 もう1つの番組「北山修 最後の授業」(7月26日(月)~29(木)4夜連続。NHK教育22時25分)ですが、同名の図書「北山修 最後の授業 心をみる人たちへ」が今月22日にみすず書房から発売されています。北山修さんと言えば、申し上げるまでも無く「帰って来たヨッパライ」のフォーク・クルセダーズのメンバーであり、「戦争を知らない子供たち」、「あの素晴らしい愛をもう一度」などを作詞した人です。
 
 学生時代から社会人になった当初の頃まで音楽活動に主力を置いた後、学生時代からの本来の領域である精神科医、心理学者の道を歩んでいらっしゃることは、周知のことと思います。それでも、折に触れ、ラジオに出演され、音楽活動も断続的にされていて、私たちの世代に刺激を与え続けてくださっていることは、とても嬉しいことです。
 
 私自身、今迄最も大きな影響を受けた人物として、ブルース・リーとよしだたくろう(吉田拓郎)両氏の名前をブログに書いたり、mixiのプロフィール欄に書いたりしています。しかし、北山修さんからも大きく影響されていると自覚したのは、やはり1980(昭和55)年前後、24~5歳の頃です。
 
 中学生の頃から聴いていた「風」や「花嫁」が、いずれも北山修さんの作詞であると知ったのが、20代になってからのことです。「白い色は恋人の色」が北山修さんの詞だと知った時は、もはや偶然ではないと悟りました。この歌(「白い色は恋人の色」)は、私が中学1~2年生の頃、1969~70(昭和44~45)年、毎朝、有線放送(田舎の農村地帯では、電電公社(現NTTグループ)の電話が普及する以前、簡易電話システムである"有線放送"が普及していました)から流れるこの歌を聴きながら起床していました。
 
 13・4歳の子供ながら、いい曲だと思っていました。その数年後、たくろうを知り、以後、私の中ではたくろう(吉田拓郎)一色になるのですが、10年後に再び出会うことが出来たのです。13・4歳の頃に「風」や「白い色は恋人の色」を聴いて感じていた"何か"を、10年後の自分はハッキリと確信することが出来たのです。北山修氏が書かれたこれらの詞が、私の人生に大きな影響を与えるものだったことを。
 
 
--- 関連情報 ---
(1) 朝の歌(フォークとの出会い) 2007年09月24日 IT屋もりたの今時パソコン日記
(2) ブルース・リーのファン 2008年06月21日 IT屋もりたの今時パソコン日記
(3) ブルース・リーの家、博物館へ 2008年07月08日 IT屋もりたの今時パソコン日記
(4) バドミントン、リー・チョンウェイ選手とブルース・リー 2008年09月22日 IT屋もりたの今時パソコン日記
(5) 小椋・潮田5連覇の快挙、19歳田児が初優勝 - 全日本総合バドミントン決勝 2008年11月16日 IT屋もりたの今時パソコン日記
(6) 大竹まことさんのラジオ番組に出演した北山修さん 2009年01月23日 IT屋もりたの今時パソコン日記
(7) フォーク・クルセダーズのLPを買った日 2009年10月20日 IT屋もりたの今時パソコン日記
(8) 41年ぶり? 2010年04月16日 IT屋もりたの今時パソコン日記

投稿者 もりた : 2010年07月26日 01:27 このエントリーを含むはてなブックマーク この記事をクリップ!

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