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2010年03月03日

#ISOP0226 「村木厚子さんの第10回公判傍聴記」を読んで思う素朴な疑問「検察は何故必要なのか?」

 竹中ナミさん( @nami_takenaka )による村木厚子さんの第10回公判傍聴記がアップされたようです。
 
  厚子さん、第10回公判傍聴記 by ナミねぇ(プロップ・ステーション - トピックス)
 
 
 本当にご苦労様です。この傍聴記にあるように、上村氏(厚生労働省 元(?)係長)の証言からは、検察調書にほとんど信憑性が無いことが窺い知れます。但し、この公判で問われていることは、村木厚子氏が郵便料金不正事件に関与しているか否かであって、当然ですが村木氏を取り調べ、起訴した大阪地検特捜部の検事が被告ではありません(村木氏や上村氏の取調べ過程や、調書の信憑性そのものが、裁判の直接の対象ではありません)。
 
 
(追記)
 
 その後、ナミねぇさんは「上村勉証人の被疑者ノート」をアップしました。
 
  ・上村勉証人の被疑者ノートの内容が公開されましたので、ポイントをご紹介します。(プロップ・ステーション - トピックス)
 
 これを読むと、検察が描いたストーリーに沿った取調べや、たくさんの偽りを含んだ検察官が書いた調書へのサインを促す強烈なプレシャーのかけ方などが、ロッキード事件で逮捕・起訴された江副浩正氏の場合と全く同じであることがわかります。
 
 昨年5月に逮捕された上村氏が、昨年10月に出版された江副浩正氏の著書「リクルート事件・江副浩正の真実」(中央公論新社)を読んでいるはずも無く、その上村氏の被疑者ノートに書かれた内容から垣間見える検察官の取調べのパターンや手口が、20年以上前のロッキード事件の時とまったく変わっていないことに、驚きよりも、むしろ半ばあきれてしまいます。(以上、追記ここまで)

 
 
 それでも私は、新聞やテレビが今日の上村氏の証言を、どのように報じるか強い関心を擁いています。みなさんも是非明日の朝刊を読んでいただきたいと思います。取っている新聞(そもそも新聞を購読していない方も少なくないかもしれませんが)をチェックしていただきたいと思います。
 
 この裁判に関しては、2月25日の朝日新聞も『元係長「調書でっちあげ」 郵便不正公判 検察の誘導を主張』として、第8回公判における上村・元係長の証言を報じています。他紙のことはわかりませんが、おそらく、上記の竹中氏の傍聴記ほど詳しく書かれている記事は無いのではないかと予想します。無理もありません。新聞には紙面に物理的な限界があります。
 
 
 今日の公判について報じるテレビのニュース番組は、もっと少ないでしょう。今日の公判そのものを報じない(報じる時間枠が無い)か、または、極短く断片のみ報じるかの、どちらかでしょう。新聞もテレビも、「ものこと」の断片しか伝えられません。断片のみでは、「ものこと」を正確に伝えることはおろか、誤って伝える危険の方が多い場合があるといえます。
 
 新聞紙上やテレビのニュース時間枠は、既に「民主党・小林千代美衆議院議員陣営に対する北海道教組からの資金提供問題」に移っています。以前のニュースを、きちんと事後報道するという点において、新聞ほど適さない媒体は無いのではないでしょうか。紙面に書ける分量が少な過ぎます。
 
 
 いずれにしても、政治や事件に関する報道の手段として、テレビや新聞の限界が露呈していることを感じます。

 
 ところで、冒頭のナミねぇによる厚子さん、第10回公判傍聴記 by ナミねぇにもありますが、ジャーナリストの江川紹子さんが『地検「特捜部」は本当に必要か』という文章を自身のブログに書かれていらっしゃるようです(まだ、読んでいません)。同じ様ことを、私もかなり前から感じていました。
 
 ・そもそも何故、検察は必要なのか
 
 ・本当に必要なのか
 
 ・警察では駄目なのか
 
 ・検察(法務)は何故 司法ではなく行政府の配下に置かれているのか
 
これらに詳しい人にとっては「当たり前」なのかも知れないが、この機会に根本から考え直すことが重要な気がする

7:25 PM Feb 26th
 
 2月26日(金)に催された『シンポジウム「小沢 v.s. 検察」にみる検察と報道のあり方』の際に、質問用紙に書いたことですが、ここ最近、私が本当に思っている素朴な疑問です。詳しい人(法曹関係者)にとっては「当たり前」のことなのかもしれませんが、この機会に根本から考え直すことが重要な様に思います。
  
 
 前半で述べたことの繰り返しになりますが、村木氏に対する裁判や、並行して行なわれている上村・元係長の罪を問う裁判、「凛の会」の倉沢氏と河野氏それぞれに対する裁判においても、問われていること(裁判の対象)は村木氏や上村氏、倉沢氏、河野氏が有罪か無罪かということです。左記の被告やその他の関係者の取調べを行ない、調書を作成した大阪地検特捜部や東京地検特捜部(上村・元係長の上司だった企画課課長補佐・北村氏)の担当検事に対する裁判ではないということは、よく意識しておかねばならないと思います。
 
 もし仮に、予め検察側が作成したストーリーに沿った誘導尋問や、検察官が作成した調書へのサインを繰り返し強く(言葉で)要求されることがあったとした場合、彼らに対する批判は、いつ、どこで行なうことが出来るのでしょうか。おそらく現在の仕組みでは、法務大臣から検事総長に対する命令でしか、これらの不適当な捜査や事情聴取、尋問を注意したり正すことは出来ないのでしょう。
 
 
 それ以前に、何故、今なお検察は必要なのでしょうか?警察だけでは本当にダメなのでしょうか。そういう点(検察の存在意義が理解できない)でいうと、検察に関しては、私自身は取り調べの可視化には関心がありません。警察については、可能な限り早急にかつ実効性のある(形だけ可視化しましたではない)可視化の実現を求めたいと思います。
 
 
--- 関連情報 ---
(1) 厚生労働省・村木厚子さんの公判がツイートされている 2010年03月03日 IT屋もりたの今時パソコン日記
(2) #ISOP0226 「検察と報道のあり方」に関するシンポジウム(2月26日)のビデオが掲載されています 2010年03月03日 IT屋もりたの今時パソコン日記

投稿者 もりた : 2010年03月03日 23:52 このエントリーを含むはてなブックマーク この記事をクリップ!

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