« #ISOP0204 Infoseek 内憂外患 郷原信朗氏の会見ビデオ | メイン | 謎の"地下神殿"を探検 »

2010年02月07日

#rachi 34年前の2月7日、高校時代の同級生・藤田進に何があったのか?

 1976(昭和51)年2月7日、私の高校時代の同級生である藤田進君が行方不明になった。34年経った今日、この問題を考える集会が川口市で開かれた。
 
  34年前の2月7日、川口の藤田進さんに何が? 特定失踪者問題を考える集い(緑風香ブログ)
 
 
 同級生の一人として、この集会に出席し、高校時代の思い出をお話させていただいた。この集会の模様を生中継するとともに、録画=アーカイブしてあるので、先ずはビデオを観て頂きたい。
 
1. 10分43秒(準備)

 
2. 0分11秒(「失踪から34年、今想うこと-藤田進さんの弟・隆司さん」)

 
3. 12分31秒(「失踪から34年、今想うこと-藤田進さんの弟・隆司さん」、「[映像]平成16年8月1日TBSテレビ『報道特集』」)

 
4. 13分03秒(「[映像]平成16年8月1日TBSテレビ『報道特集』」)

 
5. 57分19秒(「藤田進さんの学友のお話(中学時代、高校時代)」、「関連団体ご紹介(東京ブルーリボンの会・救う会埼玉)」、「[映像]命を獲るな!自由を返せ!」)

 
6. (「[映像]命を獲るな!自由を返せ!」、「北朝鮮人権委員会・代表のご挨拶」、「特定失踪者のご家族ご紹介」)

 
 
 
 次に、私が藤田進君の失踪を知った経緯について、説明したい。乱筆乱文、加えてまとまりの無い長文だが、お許し願いたい。
 
 
 今から34年前、1976(昭和51)年2月7日に藤田進君は、行方不明になった。弟さん(藤田隆司さん)の話によると、大学1年生だった藤田君は「ガードマンのアルバイトに行く」と言って家を出たまま、帰って来なかったという。
 
 当初、ご家族(お父さんと隆司さん)は家出や自殺の可能性などを考えたという。いろいろ考えたが、失踪の理由は思い当たらず、本人はその後、現在に至るまで帰って来ていない。大学に受かり念願だった体育教師になる夢に一歩近づいていたこと、それよりなにより、出がけにお父さんが「洗濯物出していけよ」と声をかけると、「(帰ってから)自分でするからいいよ」と言って出かけたとのこと(当時、藤田家はお父さんと息子二人の父子家庭だったそうだ)。
 
 
 私が、藤田君が19歳の時から行方不明になっていたことを知ったのは、今から6年前、平成16年8月1日(日曜日)のことだ。何故、日にちまで憶えているかというと、その日は浦高27回(昭和51年3月卒)同期会が行なわれた日だからだ。また、ちょうど同期会の最中、夕方6時からTBSテレビ「報道特集」で、藤田君が北朝鮮に拉致された可能性が高いという内容のスクープが放送される予定になっていたからだ(実際に放送された)。
 
 兄の代理として同期会に出席した弟の隆司さんと、この時、初めてお会いした。そして19歳の時から行方不明になっていること、脱北者が持ち出した複数の日本人の写真の中に、兄と思しき人物が映った1枚の写真が含まれていたことをお聞きした。
 
 このあたりの経緯については、このブログの過去のエントリーを参照していただきたい。
 
  同級生(IT屋もりたの今時パソコン日記)
 
 
 (その後、脱北者が持ち出した1枚の写真に映っている人物は藤田進君にほぼ間違いないことが、専門家の鑑定によって明らかにされた。鑑定を行なったのは、第2次小泉訪朝にも同行した東京歯科大学の橋本正次・助教授(当時)である。調査会ニュースVol.162(2004.8.12)(左記PDFファイルが開いたら12ページ目に飛んで、お読みください)参照のこと)
 
 
 これを聞いて私は驚いた。当然、自分と同じ様に普通の40代後半の人生を送っているものと、ただ漠然と(特に根拠はないが)思っていた。当時、北朝鮮による拉致問題は日本国民に周知のことだった。小泉・元首相による二度の訪朝によって、5人の拉致被害者とその家族が日本に帰って来た後だった。
 
 19歳の時から行方不明だったことに加えて、拉致されて北朝鮮にいる可能性が高いという事実は、私にとって急に受け容れ難かったのかも知れない。具体的に出来ることは何か、考えあぐねて、何も出来ず月日だけが過ぎた。それから5年後、つまり昨年(平成21年)の2月8日、再び同期会が催された。(弟さんが来ることを)今度は半分確信して同期会に出かけた私は、隆司さんと再会した。そして、川口と浦和で毎月一回ずつ被害者救出のための署名活動をしていることを聞き、5月から参加するようになった。
 
 
 
 以上が、私が藤田進君の失踪を知ってから、拉致被害者および特定失踪者救出の活動を始めるまでの経緯である。
 
 
 今振り返れば、藤田君が行方不明になった昭和51年のこの時期、私は一浪していたこともあり目前に控えた受験で頭がいっぱいだったに違いない。高校在学中から同級生との付き合いのほとんど無かった私は、現役(高3)時の大学受験の結果(誰がどの大学に行って、誰は浪人しているといったこと)について全くといっていいほど知らなかった。もちろん藤田君が現役で大学進学していることも知らないし、ましてや行方不明になったことなど想像だにしなかった。
 
 
 上で述べたように脱北者が持ち出した写真に映る人物と藤田君が同一人物に違いないという鑑定結果があるにも関わらず、藤田君は拉致被害者に認定されていない。隆司さんは、上記の鑑定結果が出た時、お兄さんも程なく拉致被害者と認定されるものと思ったという。6年経った現在も拉致被害者と認定されないのは、行方不明の日本人を北朝鮮による拉致被害者であると日本政府が"認定"するためには、日本政府が定めた(?)3つの条件(拉致被害者認定条件)があるからだと聞いた。私自身、詳しくは承知していないが、藤田君のケースの場合、どういう点が条件をクリアしないのか、隆司さんも分からないという。そのため、機会がある度に、質問書を政府に提出しているとのことだ。
 
 このように日本政府に認定されていないが、「北朝鮮に拉致された可能性を排除できない失踪者」(必ずしも拉致の可能性が高いケースばかりではないが、その可能性を否定できない)失踪者の情報を調査するために「特定失踪者問題調査会」が同会代表・荒木和博氏らにより設けられている。
 
  荒木和博氏の講演ビデオ - 先月開催された「拉致問題を考える川口市民の集い」より(IT屋もりたの今時パソコン日記)
 
 
 そして、調査会には失踪者のご家族等から約470名の調査依頼が来ているという(平成20年現在)。上でも述べたように、このすべてが北朝鮮に拉致されたか否かはわからない(そのために調査している)。また、調査を依頼していないご家族も多数いらっしゃるであろう。したがって、政府認定拉致被害者17名(すでに5名の方が帰国した)を含め、「北朝鮮による拉致被害者の数は、どんなに少なく見積もっても100名下らない」(「特定失踪者」問題とは-特定失踪者問題調査会ホームーページより)。
 
 
 6年前に藤田君のことを知ってからも、また去年から被害者救出のための署名活動に参加するようになってからも、藤田君を含め、北朝鮮に拉致された人々を救い出し、日本に帰国させるためには、どうすればいいのだろうと、時々考える。この問題は、やはり国と国との間の交渉によってしか解決できない、直接的には、政府に解決を委ねる以外にはない問題だと思う。しかし、政府を後押しするために、多くの人々が北朝鮮による拉致問題を自分のこととして考えることがポイントであると考える。
 
 
 今でも時々(かなり頻繁に)、拉致問題がテレビのニュースや新聞で取り上げられる。拉致問題を知らない日本人はほとんどいないと言っても、言い過ぎではないだろう。しかし、自分の家族が、兄弟や親や子どもが、あるいは同級生や友人が拉致された、または拉致されたかもしれないと、自分や自分の家族のこととして考えることの出来る人は、少ないに違いない。拉致のニュースに接した時に、自分の身に置き換えて考えるということは、ほとんどの人にとって難しいと思う。私自身も、藤田君のことが無かったら同じだったと思う。
 
 すべての拉致被害者が日本に帰って来れるまで、多くの人が拉致問題を単に忘れないだけではなく、わが身に置き換えて考えて頂ける人が一人でも増えるよう、微力ながら私に出来ることをしてきたいと思う。
 
 
--- 関連情報 ---
(1) 同級生 2009年08月21日 IT屋もりたの今時パソコン日記
(2) 荒木和博氏の講演ビデオ - 先月開催された「拉致問題を考える川口市民の集い」より 2009年09月06日 IT屋もりたの今時パソコン日記

投稿者 もりた : 2010年02月07日 23:59 このエントリーを含むはてなブックマーク この記事をクリップ!

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.imadokipc.com/mt/mt-tb.cgi/1551

コメント

コメントしてください




保存しますか?