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2009年08月03日

裁判員裁判に感じる一抹の不安とは

 前のエントリーで裁判員裁判の公判が開始されたことについて、もろ手を挙げて喜べないということを書きました。冤罪防止、もし自分自身が裁判に参加するとなった場合は、これを最も重視しなければならないと考えているとも述べました。読み返してみると、何に対して一抹の不安を憶えるのかまったく書いていないことに気付き、具体例を一つでも書いておこうと思います。
 
 
 初公判の1日目終了後、夕方のニュースでは、検察の冒頭陳述が「普通の人にもわかりやすい言葉で説明されたのがよかった」とか、裁判員も論議に入りやすい様に「公判前整理手続き」がなされ論点が整理されたことを評価する言葉が並びました。私は、この点に引っ掛かりました。
 
 せっかく「一般の人の感覚を裁判という専門の世界に持ち込む」ことに成功したのに、結局、の部分は専門家の間で決めてしまうような気がしたのです。裁判官、検察官、弁護士、みんな机を並べて勉強した仲間たちです。

 
 「難しいことをわかりやすく説明する(出来る)ことの重要性」については、私自身このブログの中で述べてきました。
 
  場違いな会合(IT屋もりたの今時パソコン日記)
 
 
 冒頭陳述を「わかりやすく」説明することは、この制度変更で最も重要な意義の1つであると思いますが、慎重であらねばならないとも思っています。「難しいことをわかりやすく」説明することは重要、かつ有意義なことですが、「複雑なことを単純化する」過程においては、最大限の注意を傾けなければならないと考えています。
 
 「複雑なことを複雑なまま、しかしわかりやすく」、言うほど簡単ではないかも知れません。ポイントは「複雑なことは複雑なまま、単純なことは単純なまま」ということではないか、と思います。
 
 コンピュータのソフトウェア開発の作法が参考になるような気がします。世の中の事象を論理的に整理して、最終的には「0」と「1」だけしか理解できないコンピュータにやらせる。その過程において、何段階もの変換作業が必要です。つまり上の例で言えば、「難しいこと」を「ありのまま」変換して、「わかりやすい表現(説明)にする」ということです。その際、元の事象を壊すことなく変換することが非常に重要と思われます。
 
 
--- 関連情報 ---
(1) 場違いな会合 2005年12月10日 IT屋もりたの今時パソコン日記
(2) 「ITアーキテクト」 ~ KDDI 情報システム本部長 繁野 高仁氏の講演から 2006年04月03日 IT屋もりたの今時パソコン日記
(3) 自民党のマニフェスト(2) 2009年08月01日 IT屋もりたの今時パソコン日記
(4) 自民党のマニフェスト(3) 2009年08月01日 IT屋もりたの今時パソコン日記
(5) 裁判員裁判「初公判」に賛辞、一抹の不安も 2009年08月03日 IT屋もりたの今時パソコン日記

投稿者 もりた : 2009年08月03日 21:31 このエントリーを含むはてなブックマーク この記事をクリップ!

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