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2009年08月03日

裁判員裁判「初公判」に賛辞、一抹の不安も

 今年5月に施行された「裁判員制度」に基づく裁判、「裁判員裁判」が今日から始まり、初公判第1日目を終えた16時半頃から、テレビ各局では、キャスターや識者らが「わかりやすかった」という感想を盛んに述べています。これらの意見を聞いて、素直に喜べない自分がいます。
 
 「わかりやすい」それはそうでしょう。裁判、特に凶悪な刑事事件において、専門家である裁判官による判決が、世間一般の人の感覚と大きくズレているとの批判から始まった制度と認識しています。一般の人が参加することにより、判決のみならず、判決にいたる過程において「わかりやすい」という効能が現れることは、当然予想できました。このことだけ取り上げれば喜ばしいことは、私とて同じですが、事は「人が人を裁く」事柄です。そう単純ではないと思ってしまいます。
 
 
 「裁判員に選ばれたら、ぜひ参加して貢献しよう」、つい1年ぐらい前まで私自身、そう考えていました。ですから、「あなたは裁判に参加したいと思いますか?」というアンケートに対し、「参加したくない」という方が半数近くに上るという報道に接して、残念に思っていたのです。社会貢献という意識を持つ人が少ないのだと理解していました。

 
 しかし、裁判員制度に対する様々な問題点を耳にするに従って、徐々に考えが変わっていきました。不参加という人が多いのは、単に意識の低さが問題なのではないと考えるようになりました。特に決定的だったのは、郷原信郎氏の著書「思考停止社会 『遵守』に蝕まれる日本」を読んだことです。また、足利事件の冤罪被害者・菅家利和さんが釈放された件も、私の方向転換に大きく影響しました。
 
 
 冤罪防止。制度を運用する側も、裁判員として参加する私たちも、これだけは常に念頭においておきたいものです。様々な場面で、いろいろなことを判断する際、先ず第一にこのことを判断基準としていきたいと考えています。
 
 
 それにしても、人の考えることというのは流されやすく、何と頼りないものなのでしょう。5年前に初めて裁判員制度が提案され、そのことをニュースで聞いたときは、「一般の人の感覚を裁判の判決に導入する」という考えに、もろてを挙げて歓迎したのは自分でした。5年後、いざ実施となった今日、「わかりやすい」という賛辞のオンパレードを聞いて、一抹の不安を憶えるのも、同じ私自身です。

投稿者 もりた : 2009年08月03日 20:49 このエントリーを含むはてなブックマーク この記事をクリップ!

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