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2009年03月01日

越谷から北越谷へ史跡めぐり(2)

 NPO法人 越谷市郷土研究会による第388回史跡めぐり参加レポートの続きです。
 
 コースを再掲します(青字が今回ご報告)。
 
 越谷駅 - 四丁野・迎摂院 - 北越谷・弘福院 - 大沢・照光院 - 大沢天神前橋跡 - 光明院 - 大沢香取神社 - 北越谷駅
 
 
 なお、前回と同じく、下記資料より引用または、参照しました。以降、同様です。
  ・「案外知らなかった越谷を歩く 第388回史跡めぐり 越谷から北越谷へ 平成21年3月1日(日) NPO法人 越谷郷土研究会」
 
 
● 照光院
史跡めぐり・照光院
 越ヶ谷宿の本陣を代々勤めた大松屋福井家の墓所があるとのこと。

史跡めぐり・照光院の入り口にある「大沢小学校創設の地」の碑
 入り口には「新四國第貳拾八番」の石塔とともに、「大沢小学校創設の地」の碑が。

 
● 大沢天神前橋跡
史跡めぐり・大沢天神前橋跡
 みなさん、これ何だかわかりますか?ただのコンクリート、もしくは石片に見えますよね。じつはこれ、かつてここに架かっていた大沢の天神前土橋の跡(石の欄干)だそうです。無造作に置かれているので、誰も気付かないと思いますが、江戸時代の絵図にも出てくる橋だそうです(引用元: 「大沢の天神前土橋 谷岡隆夫著」 平成17年度 越谷市民文化祭の展示)。

 
● 光明院
史跡めぐり・光明院の山号は「香取山」
 通り(県道 足立越谷線)を挟んで隣にある、大沢香取神社の別当だそうです。(その名残りか?)山号は“香取山”とあります。
 
 この寺院には、塩かけ地蔵があります。

 
● 大沢香取神社
史跡めぐり・大沢香取神社
 大沢香取神社の本殿です。

 境内にある説明板には


 “香取神社は、約六百年前室町時代後期の応永年間(1394~1427)に下総国一の宮(千葉県佐原市)香取神宮の御祭神・経津主大神(ふつぬしのおおかみ)を御分霊し、香取大明神として大沢村鷺後に一村の鎮守として勧請造立された。奥州街道(後の日光街道)の整備により武州大沢宿ができたのに伴い、寛永のころ(1624~44)鷺後から現在の大沢の地に移した。・・・(以下略)”
とあります。
 
史跡めぐり・大沢香取神社 一の鳥居の狛犬
 一の鳥居を入ったところに一対の狛犬があります。今日案内してくださった郷土研究会・宮川会長の説明によると、宝暦6(1756)年のもので越谷市内で2番目に古いとのことです。10年ぐらい前に、郷土研究会の方が手分けして、市内にある狛犬の数を数えたところ、41体確認できたとのこと。今回この2体を発見し、確認できた数は43体になったとのことです。

史跡めぐり・大沢香取神社の彫刻
 大沢香取神社の奥殿の板壁には、大黒天や高砂の翁・龍などさまざまな彫刻が施されているとのこと。慶応2(1866)年に再建、彫刻師は浅草山谷町 長谷川竹次郎。この板壁の北面には、川面で布を洗ったり、製品を竹竿にかけて干したりする紺屋の労働作業を表現した図柄が彫刻されている。
 
 江戸時代、越ヶ谷・大沢が紺屋の盛んな所だったことを知る貴重な民俗資料といえる、とのことです。

 
● 北越谷駅
史跡めぐり・北越谷駅

 かつてはこの駅が「越ヶ谷停車場」だったとのこと(明治32年 東武鉄道の開通とともに開設)。大正8年に越ヶ谷町に越谷駅が開設された際に「武州大沢駅」と改称され、昭和31年に現在の駅名(北越谷駅)に改められるまで、慣れ親しまれたそうです。私の祖父も「武州大沢駅」と呼んでいました。
 
 
 越ヶ谷は、雛人形やせんべいの製造も盛んだったところで、今は「草加せんべい」、「人形の岩槻」のように他所が有名になってしまいました。このように「実は越ヶ谷」というものが、結構多いんですよ!「越谷だるま」は今でも有名です。
 
 
--- 関連情報 ---
(1) 越谷から北越谷へ史跡めぐり(1) 2009年03月01日 IT屋もりたの今時パソコン日記

投稿者 もりた : 2009年03月01日 23:43 このエントリーを含むはてなブックマーク この記事をクリップ!

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