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2009年02月08日

バッティングコーチの代名詞、山内一弘氏

 先日、元プロ野球監督の山内一弘氏が亡くなったことを、テレビのスポーツニュースで知りました。すぐに書かないでいたら、あいよコーポレーションの吉岡社長がブログに書かれていました。
 
  
★久しぶりに聞いた名選手の名前~山内一弘選手★(癒しのテラス あいよ、愛与、、アイヨ!)
 
 
 吉岡社長は現役時代、しかも全盛期の山内選手を、東京球場で観たようですが、私がプロ野球を見始めた頃には現役を引退し、読売の打撃コーチをしていたようです。よくテレビで山内バッティングコーチという名前を耳にしました。同じく藤田(元司)ピッチングコーチも名前だけは知っていました。
 
 当時の読売の監督・コーチで、私が顔まで知っていたのは川上哲治監督と牧野茂ヘッドコーチくらいでした。その後、ロッテの監督をされたりテレビ解説者をされた頃になって、ようやく顔と名前が一致するようになりました。

 
 それと同時に大学時代、御茶ノ水(水道橋?)の本屋で立ち読みした例のプロ野球本の中に、当然山内一弘(当時は和弘)選手のバッティングフォームの写真もありました(確かカーブを打った瞬間の写真だったと思います)。
 
  榎本喜八(IT屋もりたの今時パソコン日記)
 
 
 既に昭和39年の小山正明投手(阪神)との大トレード(当時としては。その後、大物同士のトレードは珍しくなくなりましたが)の話も本などを通して知っていました。その本では、紹介されている右バッターの写真は左バッターほど多くなく、右打者でこれだけ上手いバッティングをした人は山内さんを措いてはいない、という印象を強くしていったものです。
 
 
 それにしても2番・田宮謙次郎(注1)、3番・榎本喜八、4番・山内和弘、5番・葛城隆雄と続く大毎オリオンズ「ミサイル打線」を、球場で見たかったものです(特に榎本、山内の3・4番は考えられないくらい凄いですね。私の年齢では無理ですが)。
(注1) 田宮選手が阪神の中心打者で、トレードで大毎に移籍したことを知った時、阪神が中心選手を簡単に放出するのは昔からだったのだと感じました。ご存知の通り、その後阪神タイガースは、投打の中心である江夏・田渕両選手を初め多くの中心選手をいとも簡単に放出しています。他チームの中心選手を臆面もなく横取りする(しかも昔から)東京読売とは非常に対照的です。
 
 
--- 関連情報 ---
(1) 榎本喜八 2006年09月23日 IT屋もりたの今時パソコン日記
(2) 「打撃の神髄-榎本喜八伝」 2006年10月01日 IT屋もりたの今時パソコン日記
(3) プロ野球・ポストシーズンたけなわ 2007年10月13日 IT屋もりたの今時パソコン日記
(4) セ・パ両リーグで首位打者、江藤慎一選手 2008年02月29日 IT屋もりたの今時パソコン日記

投稿者 もりた : 2009年02月08日 00:26 このエントリーを含むはてなブックマーク この記事をクリップ!

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