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2008年12月18日

今夜は「富士講」の宿

「富士講」 昨夜は我が家で「富士講」がありました。「富士講」について私自身あまり詳しくはないのですが、富士信仰の一つで、Wikipediaによると戦国時代から江戸時代初期に起源があるようです。江戸時代中期以降、特に関東地方を中心に流行したようです。
 その名残が私たちの住む地域にもあり、毎年12月17日の夜、講中各家の当主が宿の家(一年ごとに各家当番制)に集まり、ご覧のような料理を神様に上げ、その後、料理を肴に酒を飲み交わして過ごす慣わしのようです。
「富士講」の際に作る料理
 昨夜は我が家が宿になり、母は前日から料理の準備に追われていました(写真は、私の母が作った料理)。

 
 この行事がここ大泊でも古くから行われているようです。いつの頃から行われてきたのか、その手がかりの1つが残っています。写真は、宿を務める家に回ってくる帳面ですが、表書きに「冨士山講中取立帳」とあります。半紙を紐で結わえて帳面としたものです。全部で三冊あり、最も古いものは明治元年、その後明治十二年、大正拾三年となっています。大正拾三年からは「富士山講中連名簿」に表紙が変わっています。
明治元年の「富士山講中取立帳」明治十二年の「富士山講中取立帳」大正拾三年の「富士山講中連名簿」

 内容はというと、筆文字や古文書に慣れた人なら何でもないのかも知れませんが、筆文字が苦手なため、残念ながら私には中に何が書かれているのかわかりませんでした(以前、漢字を読めない麻生総理を揶揄する記事を書きましたが、五十歩百歩ですね)。
明治元年の「富士山講中取立帳」に書かれた内容

 おそらく、「富士講」の際に各戸が負担した宿代の証文なのかもしれません。現在は、大正拾三年の帳面の末尾に紙を足して、その年の宿主が記入しています。
 
 
 冨士講と並んで、各地にある浅間神社も富士山信仰の中心です。この辺りでは平方村(現在は越谷市平方)に浅間神社があります。平方の浅間様(我々は親しみを込めてこう呼んでいます)の境内には、大正八年に富士山に代参したときの記念碑が残っています。
 
  越谷市平方の浅間神社祭礼(予告)(IT屋もりたの今時パソコン日記)
 
 
 冨士講、観音講、そして初午をはじめとする農家の年中行事、古くから伝わるこれらの“慣わし”を出来るだけ伝えていくことも、すさんで不安に満ちた今の世の中に、少しでも“穏やかさ”を取り戻すことと、どこかでつながっているのではないかと考えています。
 
 
 それにしても明治の初めといえば「天璋院」様がご存命の時代、昨夜と同じ顔ぶれの何代か前の当主たちが、同じように酒を酌み交わしていたことを想像すると、「篤姫」様の時代がそんなには遠くなく思えてくるから不思議です。
 
 
--- 関連情報 ---
(1) 観音講 2006年02月01日 IT屋もりたの今時パソコン日記
(2) 初午 2007年02月05日 IT屋もりたの今時パソコン日記
(3) 越谷市平方の浅間神社祭礼(予告) 2007年06月28日 IT屋もりたの今時パソコン日記
(4) 越谷市平方の浅間神社祭礼(当日) 2007年06月30日 IT屋もりたの今時パソコン日記
(5) 観音講(2) 2008年02月02日 IT屋もりたの今時パソコン日記
(6) 初午の料理 2008年02月22日 IT屋もりたの今時パソコン日記
(7) 政治空白3 2008年11月13日 IT屋もりたの今時パソコン日記
(8) 「篤姫」フィーバー 2008年12月15日 IT屋もりたの今時パソコン日記

投稿者 もりた : 2008年12月18日 19:43 このエントリーを含むはてなブックマーク この記事をクリップ!

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