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2008年10月29日

高橋尚子さん、プロ競技者としてのマラソンランナー引退

 高橋尚子選手が現役引退の記者会見を開きました。今年3月の名古屋国際女子マラソンで自己ワーストとなる27位に終わった後、一年間で東京・大阪・名古屋の女子国際マラソン3大大会出場を発表し頑張っていました。7・8月頃の練習の中で、ファンの期待する走りが出来るか、プロとして走るということに限界を感じて、決断されたそうです。
 
 高橋尚子さんのことで印象に残っていることは、たくさんあります。初めてテレビで高橋さんを見た1998年3月の名古屋国際、同年12月アジア大会の2時間21分台、オリンピック前年の手の骨折、市橋選手が内定、山口衛里・弘山晴美両選手が好タイムという状況下で順位と記録の両方を迫られた2000年3月の名古屋国際、そしてシドニーオリンピックでの金メダル。
 
 オリンピック翌年9月ベルリンで女子で初めて2時間20分を切ったレース、2003年11月東京国際2時間27分台で2位、結果的にオリンピック2大会連続出場を逃したレース(あの日は11月というのに25度近くまで上昇し、翌日はまた11月の平均気温に戻った)、2005年11月東京国際2時間24分台で優勝し久々に元気な高橋さんを見れて嬉しかったこと、2006年11月東京国際冷たい雨中を土佐選手と競って3位、そして今年3月名古屋国際、レース序盤から遅れたものの完走し、2時間44分18秒で27位は187人もの選手が後ろに続くタイムであったことなどキリがありません。
 
 
 そんな高橋尚子さんの思い出ですが、特に印象に残っていることが3つあります。1つ目は私が初めて高橋尚子さんをテレビで見た時のことです。
 
 
● この人のインタビューをもう一度聞きたい
 
 私が「高橋尚子」という名前を初めて知ったのは、10年前の春先のことです。スピードスケートの清水宏保選手、スキー・ジャンプ団体の金メダルに湧いた長野オリンピックの閉幕。“祭りのあと”の寂しさを感じていた3月、とある日曜日の昼下がり、テレビのスイッチを入れると大好きな女子マラソンが生中継されていました。

 
 レース途中から見たのですが、新人の選手がいいペースで快走しそのままゴールイン、2時間25分台のタイムで日本記録を更新したのでした。そのこと(新人で日本記録更新)にも少し意外な感じを持ちましたが、それ以上に驚いたのはインタビューに答える“その人”の堂々とした態度と、若者らしいさわやかさでした。それが、高橋尚子さんでした。
 
 通常、スポーツ選手、特に若い選手の場合は、受け答えが得意でない(本人もそう思っていることがこちらにも伝わってくる)選手がほとんどです。若い時は、口よりも競技者としてのプレー内容が優先という考えが、スポーツ関係者の間では大半かもしれません。
 
 高橋さんのインタビューを聞いていて感じたのは、20代とは思えないしっかりとした言葉遣い、そしてそのすがすがしさでした。壇上で優勝の月桂冠を頭に載せた姿を見なければ、スポーツ選手であることを忘れてしまう程でした。「この選手のインタビューをもう一度聞いてみたい」その時感じたことです。
 
 
● スポーツ新聞で知った驚異の2時間21分台
 
 以来、心待ちにしていた「高橋尚子」という名前との再会、それは意外に早くやってきました。しかし、予想していたテレビでのインタビューという形ではありませんでした。その年(1998年)の12月に開催されたアジア大会、「高橋尚子 2時間21分台(のタイム)で優勝」という文字が、通勤途中に駅ホーム売店に並んだスポーツ紙の見出しを飾っていました。
 
 2時間21分台は当時としては驚異的な記録です。これは後に知ったことですが、タイのバンコク、気温30度という中で行われたレース、初めから最後までハイペースな高橋さんの一人旅だったそうです。当時、情報は新聞からだけでしたが、21分台という文字だけが記憶の奥底に強く刻まれました。
 
 
● 2週連続出場を狙っていた
 
 もう1つは、シドニーオリンピックの翌年 2001年9月に出場したベルリンマラソン、2時間19分台をマークした直後のことです。当時の世界記録でしたが、その1週間後ケニアのヌデレバ選手(北京オリンピック銀メダリスト)に、世界記録を約1分更新されたのです。
 
 ヌデレバ選手が世界記録を出したそのシカゴマラソンに、高橋さんは(2週連続)出場しようとしていたと後で聞いてビックリしたことが、鮮明に残っています。日本陸連の関係者にストップをかけられた小出義雄監督の説得により、結局は出場を断念しましたが、私がその時思ったことは、「まだまだ力を出し切っていない、自分の力を出し切りたい」という高橋さんの気持ちでした。
 
 当時高橋さんは「せっかく何ヶ月も大変な思いをして練習してきたのに、1回のレース出場だけではもったいない」とおっしゃっていました。高橋さんらしいなぁと思ったことを憶えています。後にチームQの立ち上げを発表した時、あぁあの時のこともきっかけの1つだと思いました。小出監督がいらっしゃることでつい人のせいにしてしまっていたこと、そこから自ら脱け出すためというのも、独立の動機の1つであることを話していらっしゃったと思います。
 
 
 
 高橋尚子さんが引退を表明されてしまい、とても残念です。同い年のヌデレバ選手や、年長の弘山晴美選手を見れば、高橋選手ならまだまだやれると思います。但し、ご本人が会見で何度もおっしゃっていた様に「プロ高橋」として競技を続けることに限界を感じたゆえの決断ということならば、仕方がありません。
 
 走ることが大好きな高橋さん、会見でも話していらっしゃいましたが、50歳、60歳になってもアマチュアランナーとして走り続けることでしょう。そして走ることの楽しさを人に知ってもらう(伝える)こともそれ以上に大好きな高橋さんの本領が発揮されるのは、むしろこれからだと思います。お父さん(良明さん)のコメントにもありましたが、「尚子はまだ36歳、人生を80年とすると午前11時くらい。」これからの高橋尚子さんが非常に楽しみです。
 
 
--- 関連情報 ---
(1) テレビ三昧の週末 2006年11月18日 IT屋もりたの今時パソコン日記
(2) 東京国際女子マラソン 2006年11月19日 IT屋もりたの今時パソコン日記
(3) 成田山新勝寺と宗吾霊堂 2007年01月08日 IT屋もりたの今時パソコン日記
(4) 高橋尚子選手アメリカへ出発 2007年05月31日 IT屋もりたの今時パソコン日記
(5) 高橋尚子選手27位、しかし完走! 2008年03月09日 IT屋もりたの今時パソコン日記
(6) 恐るべし天満屋 2008年03月09日 IT屋もりたの今時パソコン日記

投稿者 もりた : 2008年10月29日 01:56 このエントリーを含むはてなブックマーク この記事をクリップ!

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