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2007年11月14日

浦和レッズ アジアNo.1

 AFCチャンピョンズリーグ決勝第2戦は、浦和レッズがセパハン(イラン)を2-0で下し、アジアの頂点に立ちました。過去Jリーグ優勝チームが何度か挑戦し、ことごとく敗退してきた歴史の中で、日本のクラブチームとして初の快挙です。
 
 サッカーはフル代表、U-22(オリンピック代表)など全日本チームの試合はよく見ますが、Jリーグの試合にはあまり興味がありません。今日はアジアNo.1がかかっているため、さすがにテレビ観戦しました。ということで、‘にわか’レッズサポーターです。
 
 これで“URAWA”の名がアジア、いや世界で有名になります。埼玉県人としてとても嬉しいです。
 
 
 もともと“浦和”はサッカーの本場です。私が浦和高校に入学した昭和47年頃、サッカーといえば埼玉か静岡という時代でした。
 
 浦和高校で体育を教えていただいたのが、倉持 守三郎先生です。「昭和29年・30年、高校サッカー選手権で浦高が2連覇した時の中心選手だよ」越谷出身でサッカーに詳しくなかった私に、地元・浦和の中学出身の同級生が教えてくれました。昭和47年当時は国際審判員をされていたと記憶しています。
 
 当時の浦和は、どの学校が全国大会に出場しても優勝候補に挙げられる強豪ぞろいでした。浦和市立、浦和西、浦和南。残念ながら我が浦高は県内4位がいいところでした。埼玉県内では浦和以外でも児玉(中学、高校ともに全国レベル)が強い地域でした。
 
 一方、静岡県では藤枝東(碓井選手で有名)が強かったことを憶えています。私の高校時代では浦和西高の西野選手(現・ガンバ大阪監督)が全国大会に出場して活躍したことを憶えています。1996年のアトランタオリンピックの全日本監督で、久々にその姿をテレビで拝見し懐かしく思ったものです。ちなみにこの大会で前園、中田、川口などの活躍でブラジルに勝つなど盛り上がり、テレビ観戦者としても夢中になったものです。

 
 ここ1~2年、浦和レッズ(レッドダイヤモンズ)が強くなり、今まさにレッズ黄金時代です。浦和市は合併によりさいたま市に変わり、“浦和”の名が消えてしまいましたが、今回のACL制覇によって“URAWA”の名が世界に伝わったことは、浦和レッズの選手、関係者に感謝したいと思います。
 
 
--- 関連情報 ---
(1) たくろうとキンキン 2006年12月31日 IT屋もりたの今時パソコン日記
(2) 愛川欽也監督「昭和26年・下宿神田屋」 2007年03月12日 IT屋もりたの今時パソコン日記
(3) サプライズ2 三越劇場「昭和26年・下宿神田屋」 2007年04月04日 IT屋もりたの今時パソコン日記

投稿者 もりた : 2007年11月14日 23:16 このエントリーを含むはてなブックマーク この記事をクリップ!

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