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2007年10月29日

「忍城主成田氏」公開講演

「開館20周年記念 第21回企画展 忍城主成田氏」が催されている行田市郷土博物館
 埼玉県行田市にある行田市郷土博物館において、「忍(おし)城主成田氏」企画展が催されています。

 
  開館20周年記念 第21回企画展 忍城主成田氏行田市郷土博物館
    2007年10月13日(土) ~ 11月25日(日)  地図

 
 
 埼玉県行田市は“埼玉県名発祥の地"として有名です。それは、古代の「さきたま古墳群」(現在の埼玉県行田市大字埼玉(さきたま)」に由来します。
 
 行田市のもう1つの顔は、中世に造られた「忍(おし)城」です。戦国時代、関東で力を振るった北条氏にも上杉 謙信にも取り込まれず、独立性を保ったことが注目を集める所以です。
行田市のもう1つの顔、「忍(おし)城」
 行田市のもう1つの顔、「忍(おし)城」。行田市郷土博物館は、この中にあります。

 
 今回の企画展は、後者にスポットを当てた展示会で、忍城主・成田氏に関連する史料(古文書)が集められています。成田氏の出自から豊臣秀吉の関東侵攻と忍城水攻めまで、およそ1190年ころから1590年頃までの史料が展示されています。
 
 展示会に付随して公開講演が開催されることを、越谷市郷土研究会の史跡めぐりでここを訪れた日に知りました。
 
  埼玉県名発祥の地 行田を訪ねて(IT屋もりたの今時パソコン日記)
 
 
 先々週の土曜日(10月20日)、埼玉県教育局生涯学習文化財課 新井 浩文氏を講師として、公開講演「忍城主成田氏~成田氏長を中心に~」が催されました。
 
 新井先生は約20年前から、埼玉県の歴史研究に関する仕事に従事されてこられたとのことです。この日は、企画展の展示史料に同期して、12世紀後半から16世紀後半までの忍城主・成田氏の足跡を詳しくお話されました。
 
● 成田氏にみる戦国渡世術
 
 先生が最後にまとめとしてお話されたことの1つは、「忍城主成田氏は何故、北条氏の領国に組み込まれなかったのか」ということです。同じ関東の有力城主でも、岩付(現在のさいたま市岩槻区)城主太田氏(江戸城を築城した太田道灌の家)が北条領国に組み込まれたのとは対照的です。
 
 先生はこれを「成田氏にみる戦国渡世術」と説明されています。世渡り上手だったのですね。
 
 
● 新しい史料の発見によって変わる虚像と実像
 
 新井先生の力説されたもう1つ重要なことは、歴史は発掘調査などによって発見される史料(古文書など)に基づいて、説明される。従って今まで正しい歴史だと思っていたことが、新しい史料の発見によって覆されるということです。
 
 その一例として、次の例をお話されました。
 
 岩付城を誰が築城したかについて、従来は太田道灌(河越城、江戸城を築城)と言われてきましたが、最近は、成田顕泰説が有力とのことです(忍城について諸説あるが、おおむね成田顕泰が築城という説に一致しつつあり、岩付城も成田顕泰説が有力になってきたということです)。
 
 上記の築城の話とは別ですが、今回も初公開の資料が展示されているということです。永禄10年の上杉輝虎書状です。上杉輝虎(後の謙信)から唐沢山(現在の栃木県佐野市)城主・佐野昌綱の家臣・高瀬縫殿助へ宛てた書状だそうです。伊勢(北条)氏政が佐野氏を攻めることが書かれていることと、当時としては珍しい刻印が押されていることが注目点だとのことです。
 
 
● 戦国時代における有力武士間の勢力争いにおいて川が果たした役割
 
 戦国時代がいつからいつまでかということは、その地方によって少しずつ異なるということです。関東に於いて1400年代は、鎌倉公方・足利氏と山内・扇谷 両上杉氏の対立が始まった時代です。先生から地図を用いて説明していただきました。
 古河公方は古河城(現在の茨城県古河市)を拠点としました。一方、扇谷上杉氏は河越城(現在の埼玉県川越市)、山内上杉氏は鉢形城(現在の埼玉県大里郡寄居町)を拠点としていました。
 
 1500年代に入ってからの話ですが、“利根川”を挟んで古河城と相対していたのは、忍城主・成田氏です。この時代にあって、川が重要な役割をしていたように感じました。当時の“利根川”は、江戸湾に流れていました。現在の古利根川です。
 話はそれますが、古利根川は私の地元・越谷市を流れています。越谷市には元荒川も流れています。江戸時代は、この川が“荒川”でした。両河川が最も接近しているところでその距離わずか2km、最後は中川に合流して東京湾に流れます。私たちの住む越谷市に、しかも至近距離に、こんな大きな川が2つも流れていたことは驚きです。今でも大雨が降ると浸水するわけが、これで判ると思います。下記の地図において、右の目印(寿橋:古利根川)と左の目印(大沢橋:元荒川)の間が、二つの川が最も接近している辺りと思われます(さらに下れば両方とも中川に合流してしまいますが)。
 

拡大地図を表示

 
 このほか、挙げればキリがないほどたくさんのことをご説明いただきました。講演会の後、閉館までの30分弱展示を見ることが出来ました。
 
 いずれにしても、とても頭に入りきらないので展示史料を解説した本を購入してきました。
「開館20周年記念 第21回企画展 忍城主成田氏」資料(表紙)「開館20周年記念 第21回企画展 忍城主成田氏」資料(裏:成田氏長の花押)

 
 古文書などを見ていつも思うことは、現在の地名につながる人名や地名がたくさん出てくることです。また有力者の苗字が地名に由来していることが多いですね。
 
 例えば永禄三年から四年にかけて上杉謙信の小田原攻めに従った関東の武将の名を連ねた「関東幕注文」という史料には、次のような名前があります。
 
  別府治部少輔、別府中務少輔 ・・・ 成田氏から分家した別府氏の子孫。現在の熊谷市東別府に別府城があったということです。
  須賀土佐守 ・・・ 越谷市大沢付近にもこの苗字(須賀さん)の家が多いですね。
  本庄佐衛門佐 ・・・ 市の名前(埼玉県本庄市)として残っていますね。

 
 
 このように昔の地名・人名が現在の地名や人名に残っているのを見るのは、とても楽しいですね。自分たちのルーツの手がかりを見失わないために、行政に携わる人には安易な地名変更や、新しい地名の創作は避けていただきたいと思っています。
 
 
 なお、11月4日(日)にも公開講演の第2回が催されます。
 
  関東戦国史の開幕~北武蔵を中心にして~
    講師 東京都立大学名誉教授 峰岸純夫氏
    日時 2007年11月4日(日) 14時00分 から 16時00分
    場所 行田市郷土博物館 地図

 
 
--- 関連情報 ---
(1) 江戸時代の地名 2006年10月30日 IT屋もりたの今時パソコン日記
(2) 埼玉県名発祥の地 行田を訪ねて 2007年09月30日 IT屋もりたの今時パソコン日記

投稿者 もりた : 2007年10月29日 17:37 このエントリーを含むはてなブックマーク この記事をクリップ!

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