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2006年10月30日
江戸時代の地名
一昨日参加させていただいた越谷史跡めぐり
~野島・三野宮~で野島浄山寺(野島地蔵尊)を
見学させていただきました。
![]()
そこで見た永代油資寄附碑に
刻まれている寄附者の住所に
興味を覚えました。
■ 現在も残っている江戸時代の地名
石碑には寄附者の所、名前が刻まれています。
よく見ると、現在でも想像できる地名がいくつか
有ったので、少し調べて見ました。
なお以下は私の勝手な想像で記述しており、真実か
否かの確認・検証等は一切行っていないことを
ご理解ください。
- 凡例 -
(1) それぞれ写真の右から順に記述しています。
(2) 実物は縦書きですが、インターネットの都合上
横書きで表記します。
(3) 左側は実物を見て私が理解した文字です。
■は私が理解できなかった文字です。
(4) 右側のカッコ内は私が勝手に想像する現在の地名です。
(5) (注1)、(注2)、・・・は私のコメントです。
● 写真1
![]()
下サ木ツ■村 (注1) 下サは下総か?
上サ五井岩サキ (千葉県市原市五井、市原市岩崎)
(注2) 上サは上総か?
武サシ黒須村 (埼玉県入間市黒須?)
(注3) 私の高校時代の同級生に埼玉県南埼玉郡白岡町の黒須君という
人がいます。したがって埼玉県東南部の地名かとも思いましたが
埼玉県西部に上記の地名のみ見つけました。
同■寄村 (埼玉県北埼玉郡大利根町琴寄)
(注4) 読めない文字は「琴(こと)」と解釈しました。
同粕カベ (埼玉県春日部市粕壁)
(注5)「かすかべ」は私が子供の頃は「粕壁」と書いていました。
現在使われている「春日部」はたしか当て字だったと思います。
同■手宿 (埼玉県幸手市)
(注6) 読めない文字は「幸」と解釈しました。写真3の幸手在八甫村
の「幸」と比べると判りますが、「幸」の上部が消えて
いるのではないか、と思われます。
● 写真2
![]()
ハトヶ谷里村 (埼玉県鳩ヶ谷市里)
ヒ■エ村 (埼玉県三郷市彦江)
(注7) 読めない文字は「コ」と解釈しました。「ロ」、「コ」いずれ
にも見えますが、「コ」と判断しました。
相州山■村 (神奈川県)
(注8) 相州は相模国、ほぼ現在の神奈川県
上総長南宿 (千葉県長生郡長南町)
同二日市バ (千葉県市原市二日市場)
同父■村
● 写真3
![]()
下総金江津村 (茨城県稲敷郡河内町金江津)
(注9) 金江津(かなえつ)は千葉県香取郡金江津村であったが、
1960年10月合併により千葉県香取郡河内村となり
1999年4月茨城県稲敷郡に編入され現在の茨城県
稲敷郡河内町金江津となったのではないか、
と思われます。
以上の記述は石田諭司氏のページ(イッシーのホームページ)
を参考にさせて頂きました。
石田氏、関連自治体等へのお問合せはご遠慮ください。
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石田諭司氏よりご指摘を頂き、下記のように訂正いたしました。
(2006年10月30日 もりた)
1889 (M22). 4. 1
町村制施行に伴う「明治の大合併」により,
千葉県香取郡金江津村ほかが合併して
「千葉県香取郡金江津村」が発足。
1899 (M32). 4. 1
利根川改修の進行に伴い,
千葉・茨城県境を利根川新流路に変更。
千葉県香取郡のうち利根川以北が
茨城県稲敷郡に編入され,
金江津村も 茨城県稲敷郡 の所属となる。
1958(S33). 2.15
金江津村が 稲敷郡河内村 に編入。
1996(H8). 6. 1
河内村が町制施行して,河内町となる。
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同 山田村中 (千葉県香取市)
(注10) 合併による住所変更前の千葉県香取郡山田町と思われます。
合併後の香取市から「山田」の地名は無くなってしまいました。
釣上西尻中 (埼玉県さいたま市岩槻区釣上 または 釣上新田)
(注11) 釣上または釣上新田の中に、「西尻」という地名を見つける
ことは出来ませんでした。
黒谷村 (埼玉県さいたま市岩槻区黒谷)
(注12) 埼玉県秩父市にも黒谷という地名がありますが、より近い
という理由から上記の住所ではないか、と思います。
武ノ中ツ■村 (注13) 「武」とあるので武州(武蔵:埼玉県または東京都)
と思われますが、文字が判読できないため特定する
ことは出来ませんでした。
幸手在八甫村 (埼玉県北葛飾郡鷲宮町八甫)
(注14) 八甫(はっぽう)と読みます。
■ 消えた地名
以上の地名を見ると、岩槻、春日部、幸手、三郷など近郊
に住む人からの寄附もありますが、かなり遠い所からの
寄附があったことがわかります。
特に千葉県市原市や香取市などとのつながりが強かった
のかな、とも思います。
この碑が建てられたのが寛政4年(1793)といわれて
いますので、約200年前です。ある意味そう遠くない過去
ですので、地名が残っていても不思議ではありません。
近代における度重なる住所変更により、消えてしまった
地名が少なくないことは非常に残念です。
一度消えてしまった地名を復活させることは不可能に近く
行政に携わる方々の見識に期待します。
■ インターネットというツール
以上の住所を調べるために、主に次の2つのページを
利用しました。
・ゆうびんホームページ 郵便番号検索
・Yahoo!地図情報
このようにかつては時間がかかって現実には不可能だったことが
簡単に出来るようになっています。コンピュータやインターネット等の
新しい技術を、いにしえの人が試みても叶わなかった分野に
応用していくことが、最も意義のある利用法ではないか、
現代を生きる者の役割ではないか、と考えています。
--- 関連情報 ---
(1) LA HEJMPAGHO DE ISSIE(イッシーのホームページ)
(2) NPO法人 越谷市郷土研究会
(3) 越谷史跡めぐり~野島・三野宮~(1) 2006年10月28日 IT屋もりたの今時パソコン日記
(4) 越谷史跡めぐり~野島・三野宮~(2) 2006年10月29日 IT屋もりたの今時パソコン日記
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