« いよいよ明日 | メイン | ハードディスクレコーダ »

2006年09月23日

榎本喜八

 「榎本喜八」という人をご存知でしょうか?
 
 昭和30年から47年まで、千葉ロッテマリーンズの前身である
毎日オリオンズからロッテオリオンズで活躍したプロ野球選手です。
(最後は西鉄ライオンズで引退をされているようです。)
ご存知の方は、かなりのプロ野球ファンですね。
 
 通算安打 2,314本、通算打率 2割9分8厘の記録を持つ大選手です。

 
● 「榎本喜八」選手との出会い
 
  私が榎本喜八選手を知ったのは、大学生の頃(昭和51~54年頃)
 神田か御茶ノ水の本屋でした。プロ野球の大打者・好打者の
 打撃フォームばかりを集めた写真集で、各打者のインパクト
 (バットに球が当たる瞬間)
の写真を1人1枚ずつ紹介して
 いました。
  
  王、長嶋、吉田義男、小玉明利、近藤和彦、山内一弘、
 張本勲、野村克也...。昭和30年代から40年代を代表する
 強打者・好打者がズラリと並んでいました。
 
  その中で、ひときわ美しいフォームの写真に目が留まりました。
 それが「榎本喜八」選手でした。それ以来その本のそのページを
 見るために、何度も同じ本屋に立ち寄りました。
 (その当時の本屋さん、すみませんでした。)
 
 
● 一枚の写真
 
  私がプロ野球を見た(テレビ、ラジオ、新聞のみ。球場での観戦は
 大学時代に2度)のは、昭和45~46年の頃からのことです。当時は
 今と同じくテレビ・ラジオは巨人中心で、特にパ・リーグは新聞の
 情報しかありませんでした。
  当時既にあまり活躍していなかったせいもあるのか、榎本選手の存在
 はその後、約5年経過した本屋での立ち読みの時まで知りませんでした。
 
  ただ、新聞・雑誌などを通じてプロ野球の記録を何度も見るにつけ、
 通算安打数、通算打率の上位にいつも名前が挙がっているこの選手は
 張本勲選手と並ぶ打撃の天才に思え、ずっと気になっていました。
 
  その後イチロー選手が登場してからはバッティングフォーム、
 ミートの確実性について、張本榎本イチローの3選手を頭の中で
 何度か比べてみました。榎本選手については、動いている絵(ビデオ)
 はおろか、写真も1枚しか見ていないのに、何とおろかなことかと
 思います。
 
 
● 「mixi」での再会
 
  今年になってmixiに登録後、プロ野球関係者のコミュニティを
 いくつか検索してみました。最初は「野村克也」、たくさんありました。
 「西本幸雄」、ほとんどありません。
  次に「榎本喜八」を検索すると、その名の通りのコミュニティが
 ありました。野村監督ほどではないにしろ、100人を越えるメンバー
 でした。
 
  意外にも多くの人が「榎本喜八」選手に関心を持っていることを知り、
 やはり注目されていた(実績も挙げている)大選手であることを
 再認識しました。
 
  しかし榎本選手は名球会に入っていません。それどころかテレビを
 はじめ、新聞・雑誌・ラジオなどでその話題を見聞きしたことは、あの写真
 以外ほとんどありません。これについては、いくつかのホームページで
 「引退後は公の場にほとんど出ていない」と書かれているのを見かける
 程度でした。
 
 
  つい最近「打撃の神髄―榎本喜八伝 松井 浩(著) 講談社」という本を
 Amazonで購入しました。325ページ中50ページまで読んだところです。
 
  榎本選手のことを少しでも知り、イチロー選手とはまったく異なる方法で
 野球の神髄に近づいた選手がいたことを、皆さんに紹介したいと思います。
 
 
--- 関連情報 ---
(1) 「打撃の神髄―榎本喜八伝 松井 浩(著) 講談社」

投稿者 もりた : 2006年09月23日 02:05 このエントリーを含むはてなブックマーク この記事をクリップ!

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.imadokipc.com/mt/mt-tb.cgi/203

コメント

榎本選手懐かしいですね。
私の世代がもしかすると彼の現役時代をじかに見た最後の世代かもしれませんね。
三番榎本(ファースト)4番山内(レフト)5番葛城(サード)だったと思います。ピッチャーは小野、荒巻だったかなあ。

親父が野球好きで後楽園球場によく連れて行ってもらいました。
私も小さいころはプロ野球の選手になるんだと毎日野球をして遊んでいました。
榎本選手のバッティングフォームはレベルスイングで横から見るとピッチャーの投げたボールの軌跡どおりにバットが直線で出て鋭いライナーを放っていました。
山内よりもホームランは少なかったと思いますがすごいバッターでした。
当時の毎日(後に大毎)はいいチームだったと思います。
当時のTVはパリーグも放送していました。

長島さんがデビューしてからです。
G一辺倒になってしまったのは。
長島さんはこの辺から考察してもすごい選手でしたね。

榎本選手は漫画の「あぶさん」のモデルだとも聞いたことがあります。
いまどうしているんでしょうかねえ?

投稿者 吉岡春樹 : 2006年09月23日 09:09

 吉岡さん、おはようございます。

> 榎本選手懐かしいですね。
> 私の世代がもしかすると彼の現役時代をじかに見た最後の世代かもしれませんね。
> 三番榎本(ファースト)4番山内(レフト)5番葛城(サード)だったと思います。ピッチャーは小野、荒巻だったかなあ。

 榎本選手、ご存知でしたか。私は上記のどの選手も現役時代を知りません。

> 当時の毎日(後に大毎)はいいチームだったと思います。

 昭和35年、西鉄、南海が強かった時代に監督1年目の西本監督(40歳)で優勝したという話をテレビや本で見たことがあります。

> 当時のTVはパリーグも放送していました。

 そんな時代があったとは、初めて知りました。

> 榎本選手は漫画の「あぶさん」のモデルだとも聞いたことがあります。
> いまどうしているんでしょうかねえ?

 生まれ故郷である東京・中野区の自宅で、「アパートや駐車場の経営をしながら悠々自適の暮らしをしている」と、上記の本に書いてありました。

投稿者 もりた : 2006年09月23日 10:48

コメントしてください




保存しますか?